■「東日本大震災」の記録(2011年3月11日)

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 ◆ 2011年3月11日午後2時46分に発生した「東日本大震災」当日の会社事務所の混乱した様子と都内の渋滞を写した記録写真
  
 当日は銀行のセミナーに出席しており、麹町にいました。

 地震発生後、しばらくはセミナーを続けていたが、ネットで東北地方の被害が伝わり、東京のJRや地下鉄が停まったこともあり、3時20分頃に主催者が解散を決めました。
 
 ただ、まだこの時は津波の被害原発事故も情報がない。
(日本国を存亡の危機に陥れた、東京電力「福島第一原子力発電所」全電源喪失事故で政府が騒ぎ始めたのは、この日の夜半からです。)

 地下鉄が停まって動きそうもないため、先ず、歩いて四谷坂町の自宅マンションに向いました。
 
 途中、九段下の辺りに救急車両がサイレンを鳴らして集まっており、人が道路にあふれていた。
(後でニュースで知ったのですが、九段会館の天井が崩れ、下敷きになった2名が亡くなり、26名が負傷したとのこと。)

 自宅は市ヶ谷防衛省前のマンションの8Fだが、特に物が落ちたり崩れたりの被害はなかったため、しばらく休んでから、新宿御苑前会社事務所に向かった。

 途中の道路は歩いて帰る人で溢れ、車道も極度の渋滞で車が全く動かない状態で、救急車両のサイレンだけが響いていた気がします。
  
 ◆ 震災の日の夕方、都内を歩いて帰宅する人々と渋滞中の車

(全ての電車が停まったため、歩いて帰宅する人の波。)

(会社のベランダから撮影した「新宿御苑通り」。普段は車はたまにしか通りません。)

 会社に帰ってドアを開けたとたんに、あらゆるものが散乱している状況が目に飛び込んできた。
 
 机の書類や本棚の上のものが全て床に落ちていていました。プリンターやFAX機も机や台から床に落ちており、台所用品から観葉植物までが散乱しており、足の踏み場も内状態でした。(下の写真を参照下さい。)

 自宅と事務所はマンションの8階と9階ですが、建物の構造の違いか、地盤の違いかわかりませんが、今回の大地震での揺れ方は全く違っていたようです。
 
 ◆ メチャクチャになった、新宿御苑前マンション9Fの事務所

(机の上に倒れたCRT)    (崩れた倉庫の荷物)


 (散乱するベランダの観葉植物)  (本棚から落ちた書籍や書類)


(台から落ちたFAX機)  (ロッカーから飛び出した物品)


 (給湯器の扉も勝手にオープン)          (台所の食器類も散乱)


 
 (散乱する机の上と空になった本棚)
 
 ◆ 四谷坂町の自宅マンション前の道路の渋滞と翌朝の様子

 (深夜まで大渋滞の靖国通りの下り線)

              (明け方ようやく、渋滞が解消) 

 ◆ 徹夜で対応に当たる自宅マンション前の防衛省

            (夜通し明かりが灯る防衛庁)

 
 (明け方の電波塔と防衛庁)
 

 今回の東日本大震災地震では津波が大きな被害をもたらしました!!

 ・ 地震が東北地方の沿岸から太平洋の100Kmも沖合で発生したために、津波が到達するまでに1時間もかかったことです。
 ・ 大きな地震で津波が予想されましたが、中々津波が来ないので一度高台に避難した人達も、もう津波は来ないと思って家に帰りました。
 ・ その結果、多くの人が逃げ後れて犠牲になりました。
 ・ 今回の地震は千年に一度の規模といいます。そして、震災は忘れたころにやってくるともいいます。
 ・ 今回の教訓は地震、津波、火山の噴火、台風と自然災害の多い日本では、子供から孫へと、子孫に代々伝えていかなくてはなりません。
 
 ◆ ホームページから拾った津波に襲われる震災地の海岸





    

*東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

(おわり)

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